古代から食されていた海苔の摂取量の推移
海苔は、1万数千年前〜2千数百年前まで続き世界的にも非常に稀な時代とされる縄文時代にはヒジキやワカメなどの海藻と共に沿岸部では日常的に食されていたとされる一方で、奈良時代初期に編纂された現在の茨城県周辺に相当する常陸国の沿岸部や現在の島根県周辺に相当する出雲国の沿岸部の風土記及び記紀によれば貴族でも中々手に入らない貴重品であり、不老長寿の妙薬とされる神仙菜に由来する紫菜と呼ばれ珍重されていた記述が残されています。その為、鎌倉幕府開闢迄は沿岸部以外の地域での摂取量は極めて少なかったと言われていますが、殺生を禁じる仏教の伝来により徐々に国全体も摂取量は増加して行ったとする記述があります。鎌倉幕府開闢以降は、鎌倉時代に成立した歴史書吾妻鏡によれば源頼朝が複数回朝廷に献上した事から京都では伊豆の名産品として珍重され、日本史上最大の内乱とされる応仁の乱では保存食として用いられ摂取量が増加しています。江戸時代には、沿岸の各藩で養殖が積極に行われた事により江戸市中などの主要な城下町での海苔の価格が次第に下がり、海苔巻きなど庶民でも購入出来る食材となり飛躍的に摂取量が増加します。第二次大戦後には、日本各地の沿岸で完全な人工養殖が行われる様になり海苔の生産量が飛躍的に増加した事もあり、1950年代には日本人の1日の摂取量が4gを大きく超えるまでに増加します。現在では、日本人の海苔の1日あたりの摂取量は5g前後まで増加しています。
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